柴犬おこめにひとめぼれ しあわせおむすび日記

わが家にしあわせを結んでくれる柴犬「おこめ」の物語

MENU

3.11 10年が過ぎ 

勤務週間を抜け、ホッと一息の休み・・・

10年目の3.11は勤務でワーワーしている間に過ぎてしまった・・・

改めて記事を書こうとすると、またまた長文になってしまうし辛いことも思い出してしまうし、何より旧日記で当時の様子がかなり詳細に綴られているので・・・

みんな、よく頑張ったよなぁ・・・

f:id:okomepower:20210315211838j:plain

テレビで当時の様子が何度も流れていますが、現場は全てのライフラインが絶たれ、状況が全く分からないまま経過し、寒くて暗い部屋でラジオの安否確認の放送がお経のように延々と流れていたのを今でもよく覚えている。

実家の被害の状況が分かったのもかなり後で、唖然とした。

日々の暮らしで精一杯で、給水所通いしたり、ガソリン尽きて自転車でどこまでも・・・
ペンツ・シャガー・ヒュラーリ3兄弟頑張ったよなぁ(笑)

毎日水が出ない水はまだか~と言っていたなぁ・・・

f:id:okomepower:20210315211855j:plain

地震直後のたろうさんは、一見通常営業のようにも見え、サバたろう事件を起こしたり、おかしなポーズを取って私達を笑わせてくれたりしていたけど、4月に大きな余震があり、再びライフラインが断絶したのをきっかけに、私達の心もポッキリと折れてしまったけど同様たろうさんも・・・

f:id:okomepower:20210315211849j:plain

もみの木のじいちゃんに会いに行った数日後に天国へ・・・

本当に信じられなくて、でも、当時の日記を振り返ると、少しずつたろうの異変をうすうす感じている旨が記されているんだよなぁ・・・

f:id:okomepower:20210315211900j:plain
このスマホのストラップ、今でも大事に使っています

その後、たろうの遺志?を継いだゆめと出会い、新しいステージへ・・・

災害危険区域となった実家跡地は復興復旧から取り残され、しばらくはそのままの状態であった。
時々様子を見に行ったりしていたけど、震災7年目に跡地には風力発電・ソーラーが建ち、その瞬間「あぁ、もう終わったんだ、もうここは私達には関係の無い場所になった」亘理町と縁が切れたようなそんな思いがした。浜寿司には行っているけど。




その後、私達は長野へ移住し、ゆめを見送り、今はちかちゃん改めおこめと新しい生活を送っている。

f:id:okomepower:20210315211912j:plain

6歳のおこめも震災後のわんこなんだよなぁ、そう考えると10年って結構な年月だったのかなぁ、と思ったり。

f:id:okomepower:20210315211915j:plain

ふくしま女子なおこめ。

先日12日にNHKの72時間のドキュメンタリーで浪江町のポテトというお弁当屋さんの72時間が放送されており、深く見入った。

福島は津波からの復興以外の問題が大きくて、10年で解決できていない部分が大きすぎ、震災の影響の大きさ・深さを改めて思い知らされるものであった。